その心禅寂にして 常に三昧にあって

「其心禅寂 常在三昧」 無量義経徳行品第一

「禅寂」とは静かなことです。静かとは動かないこと。周囲の境遇に心が左右されないことです。得意になれば心がおごり、失意になれば落胆します。人に誉められればいばりたくなり、悪く言われればガッカリします。そのような周囲の事情に心が動かないこと、それが禅寂です。  

「三昧」とは「一を守って散ぜず」ということです。一つの道をきちんと守り、心を外に散らかさないことです。「一」とは仏の教えです。その教えを守り、心を方々に散らかさない。それが三昧です。仏の教えを身にまとうと心がザワサワとしなくなります。「こころ」が「ドスン」と座ってきます。

世間という心の外の世界ばかり見つめていても、あっという間に一生が過ぎてしまいます。心は散らかさない。行いは散らかさない。言葉は散らかさない。それが仏の歩んだ道です。