ご信者である彼は、四十代前半、仏壇・墓石販売の営業所所長を務めていた。 ある日、一人の従業員が大きな過失を犯してしまった。施主様への墓石の納期が大幅に遅れたうえ、注文したものとは異なる墓石を納品してしまったのである。
従業員が謝罪に伺ったが、施主様は怒り心頭であった。 「年回忌法要に間に合うよう、あれほど確認してきたのに、なんという不始末だ。そのうえ墓石まで違うとは……」 「もうお宅には、この先の工事は頼めない。今までの経費は支払うが、もう顔も見たくない」そう言われ、従業員は追い返されてしまった。
所長である彼は、 「車の納車とは訳が違う。理由は分かったので、私が直接謝りに伺う」 と決意し、再び施主様のもとへ平身低頭で訪ねた。
「担当の者から話は聞いたでしょう」 その後も厳しい叱責を受け、結局許しは得られなかった。
それでも彼の心には、せっかく仏縁を結んでくださったことへの申し訳なさが重くのしかかっていた。 「最後に、お仏壇へお線香を上げさせていただけませんか」 とお願いし、側にあるお仏壇の前で灯明をともして線香を立て、手を合わせて心からお詫びを申し上げた。懇ろにご供養の心を捧げてから帰路についた。
彼が所長となった頃、お参りに来られた際に、次のようにお話ししたことがある。 「仏壇や墓石を売るということは、まず売る人自身が仏様(精霊)を敬う心を持ち、行いを正すことが大切です。お店でも所長自らが手を合わせること、その心から始めることが肝要です。その功徳は自然とお客様の心にも、ご先祖の精霊にも、お香の香りのように伝わるはずですよ」その教えを胸に、今では彼は自宅で御掛軸を熱心にお祀りし、夫婦や子どもたちも自然に手を合わせる毎日を送っている。
契約を破棄された施主様から、数日後に一本の電話が入った。 「所長さんに、もう一度家に来てほしい」約束の日に伺うと、施主様はこう語られた。 「先日は感情が先走り、申し訳なかった。どうかこの先も、あなたに最後までお願いしたい」
「えっ……」彼は一瞬耳を疑った。
「なぜ今回の不始末を許せるようになったか、分かりますか。 それは、最後にあなたがお仏壇で拝む姿を見てからです。 ああ、この人ならご先祖のお墓を建ててもらいたい。きっとご先祖も喜んでくださるはずだ、と感じました。怒りの感情で一切を吐き捨てても供養にはならないと考えさせられました。どうか最後までよろしくお願いします」施主様は温かい笑顔で見送ってくださった。後日、彼がお参りに来られた際に、こう語ってくださった。 「住職から言われたこと、その大切さを改めて深く感じました」