「豊かさ」――日本人が抱き、育んできた「豊かさ」の価値観は、令和に入ってから次第に偏ってきたように感じます。令和八年は、「自分自身の豊かさ」や「家族の豊かさ」を改めて見つめ直す時代になるのではないでしょうか。
昔、山形・新庄の山奥の貧しい村に、お菊という十五歳の素直で心優しい娘がいた。ある日、お菊は山形の老舗旅館へ奉公娘として出された。この旅館の旦那は厳しいことで有名で、奉公に上がっても耐えきれず辞めていく娘も多かった。お菊も慣れない生活に戸惑いながら、叱られつつも毎日一生懸命に拭き掃除に励んでいた。一年が過ぎ、年の瀬の大掃除を終えて迎えた正月元日。旦那は床の間に縁起物を飾ろうとしたが、そこには大掃除の際に置き忘れられた一枚の雑巾が残っていた。
旦那は怒鳴った。 「誰だ、元旦の床の間に雑巾を置き忘れた者は!至急ここへ連れて来い」 なんと、その雑巾を忘れたのはお菊だった。お菊は大変なことをしてしまったと胸が締めつけられた。どんなに叱られるだろう。もし奉公を辞めさせられたら、故郷の父母にどう顔向けすればよいのか。そう思うと涙がこぼれ、うなだれながら旦那の部屋へ向かった。 「お菊、お前が忘れたのか。なんという不始末だ。正月元日の床の間に雑巾があるとは、まったく縁起が悪い」お菊はただうなだれて、涙を流すばかりだった。ところが、しばらくじっと見つめていた旦那は、やがて静かに語りかけた。
「お菊、私が厳しいのは知っているな。奉公人たちが裏で私を鬼のようだと噂しているのも承知している。世間でも有名だ。 だが、好き好んで厳しくしているわけではない。人間は見られている時は働くが、見られていないところでは手を抜くものだ。見えるところは拭いても、見えないところは知らんぷり――誰しもそういう弱さを持っている。だからこそ、人は見えないところでどう振る舞うかが大切なのだ。お前は、私が見ていないと思っているだろうが、実はよく見ていた。お前は素直に一生懸命働き、見えないところでも一切手を抜かず掃除をしていた。仕事の跡を見れば、それがよくわかった。今日は元旦だ。お前を叱るために呼んだのではない。祝いの詩を贈ろう。」
【雑巾も当て字に書けば「蔵」と「金」、きれいに床を拭くの紙かな。(福の神かな)】
その時の旦那の慈悲と教えを胸に刻み、お菊はやがてこの旅館の女将となり、名女将として奉公人を育て、旅館を繁盛させたという。
今年の「流行語大賞」には、高市早苗首相の演説フレーズ「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれました。 私たちもまた、「磨いて磨いて磨いて磨いて」まいりましょう。 そから「豊かさ」や「こころの宝」が生まれ、福の神がすでにそこに宿っていたことに気づかせてくれるはずです。